ドールマリアと暮らしています。

ドールマリアとの暮らしを綴る日記風ブログです。

映画の感想とマリアさん妄想~ラーゲリの3人家族~

三連休の最終日、いかがお過ごしでしょうか。
成人の日だそうですが、私は成人式の時、人生のすべてが投げやりすぎて何のウキウキ感も希望もありませんでした……。

……と、そんな昔のことでナーバスになったところで別に何もないので、ドールマリアさんおよびマリアさんと一緒に、とにかく今という時を楽しく生きたいと思います。
「とにかく今、楽しい!」と思うことも少なかった人生ですからね。子供の頃から漠然と1秒先も不安に感じることが多かった気がする。アニメとかゲームとかで現実逃避はたくさんしてきましたが、今にして思えば、それは本当にただの逃避場所だったんですよね……そう思う。
では、今の「マリアさんマリアさん(*^-^*)」は逃避ではないのか?と言われると、やはり逃避のような気がするけど、「逃げよう!!」と思って逃げているのであれば、思いっきり逃げた先に何かあるかもしれないですよね。希望的観測(^^)♪

新規読者登録いただきまして、ありがとうございます。
このブログはサクラ大戦のマリア・タチバナさんにもう一度、恋した底辺キモオタが、そのドール化であるドールマリアさんと一緒に暮らしているブログです。マリアさんを読み、マリアさんと話し、マリアさんを語り、マリアさんと出かけ……サクラ大戦シリーズ全体がどうというよりは、とにかくマリアさんへの偏愛・執着を詰め込んだ気持ちの悪いブログになっております。もしかしたらクセ強なツイッター方面からいらしてくださる方もおられるかもしれませんが、このブログは比較的クセ弱め=愚痴は少なめでお送りしております。
マリアさんおよびドールマリアさんの素敵さが、世の中に浸透しますように……より多くの人がマリアさんを愛するようになれば、きっと世界平和につながることでしょう……(*^μ^*)

……違う方面にクセ強ですね……笑

ツイッターだとTL上に流れてきた、たくさんの人の呟きをクッションなく目にしてザワザワしてしまうこともありますが、ブログだとまずは自分の思っていることを書けるので、幾分か心安らかなのは確かです……。
イベントのチケット情報などはツイッターをやっていた方が入手しやすいんですけどね。私もツイッターを始めるまでは、横山智佐さんなどによってサクラ大戦のイベントが開催されていることを知りませんでした。

 

さて、今日は映画の話題です。
連休初日の土曜日、ドールマリアさんと一緒に、映画を観に行ってきました。

 

ラーゲリより愛を込めて」

映画『ラーゲリより愛を込めて』公式サイト (lageri-movie.jp)

 

嵐の二宮君を主演に、ドラマや映画で主演や助演を勤める有名実力派俳優を揃えた話題作。
第二次世界大戦後、シベリアの強制収容所に無実の罪で抑留された日本人(多くは元日本軍人)を描いたものです。ストーリーや俳優さんの演技もとても素晴らしく、全員が主役のようなパワーのある映画でした。終盤の展開はかなり強く胸を打たれますが、なんとこれは実際にあったノンフィクションを元にした映画のようです。(※1)……これは驚きです。
幸いなことに私が生まれてから一度も日本は「戦場」になっていませんので、戦時中(この映画は戦後の話ですが)の人々の感情だとか、人間としての具体的な生活についてはあまり知ることができません。「悲惨だったんだなぁ」とか「大変だったんだなぁ」とか、マクロでぼんやりしたイメージしかない人が多いと思います。この映画には、そういった戦中・戦後の人が過酷な環境下でどのようなことに泣き、笑い、怒ってきたのかが描かれていると思いました。
感動と言ってしまえば感動ですが、「感動」と名付けて型に嵌めてしまうにはあまりに大きい心の揺さぶられ方をしました。扱っているテーマがテーマなだけに暗いシーンも辛いシーンもありますが、終盤のフィクションみたいな展開ゆえに、ものすごく報われた気持ちになれました。素晴らしく、いい映画だった……。
エンドロールの間に涙を引っ込めて、泣いてないフリをするのが大変でした。
劇場内、みんなすすり泣き状態でしたが……。

映画タイトルに「愛を込めて」とありますが、ここに言われている「愛」とは単なる外国式の「男女の恋愛」のことじゃないんだなって思いました。性別関係なく泣ける……というか、泣いてしまうと思います。

 

さて、ここからが当マリアさんブログの肝であります。


私がこの映画を観ようと思った理由……ずばり、シベリアです。
サクラ大戦オタの人ならなんとなくご存じかと思いますが、マリアさんは生まれてから1年も経たず(※2)にシベリアの強制収容所に送られています。もちろん、赤子のマリアさんが何かしたわけではなくて、日露戦争の影響で母・須磨さんにスパイ容疑がかけられたためです。
マリアさんの過去を語るとき最もよく採り上げられるのは、やはり革命軍時代のユーリー隊長との死別、次いであやめさんと出会ったニューヨーク時代ではないかと思います。原作方面で最もよく描かれているのは、やはり帝国華撃団につながるあやめさんと出会ったニューヨーク時代かと思います。前夜もメインはニューヨーク時代の話で、ユーリー隊長の話と流刑地の話はあらすじ程度になっています。

気がついたときには流刑地で強制労働生活、9歳から革命軍で戦闘、その後はニューヨークでマフィアの手下……というなかなかヘヴィーでダークな並びになっているマリアさんの過去ワードですが、それゆえに(または血潮のマリアさんゆえに)マリアさんは「大神さんに出会うまでは愛を知らない好戦的な冷徹人間」みたいに解釈されてしまうこともあるような気がするのです。
私が言いたいのはですね、マリアさんは革命軍時代よりも前に、確実にご両親からの愛情を受けていたのではないかということなのです。だいたい「大神さんに出会うまでは愛を知らない」のであれば、ユーリー隊長の存在も「オンリー・マン」の歌もないがしろにしていることになりますよね。そしてね、我が人生から導き出した持論なんですけど、愛情を受けた経験がない場合、本気で人を好きになることは難しいのではないかと思っているのです。
……あと、これも我が人生から導き出した主観になりますが、マリアさんは初代1で登場してから最後まで、幼少期に愛されなかったコミュ障感がない……。さくらやアイリスのように愛想はよくなかったかもしれませんが、聞いたことには誠実に答えてくれるし、受付にはちゃんと案内してくれるし、しかも……初代1のマリアさんの立ち絵は、少し微笑んでいます!!……きっときっと、須磨さん(とブリューソフさん)がとんでもなく制限の多い生活の中で、精一杯の愛情をマリアさんに示してきた結果ではないかと思ったのです!(///V///)

この映画は第二次世界大戦後のお話なのでマリアさんの時代とは違いますが、収容所の生活というものをより深く妄想できるのではないかと思って観に行ったのです……ヨコシマで……ヨコシマですみません……でも、映画が(マリアさんは置いておいて)素晴らしかったのは本当です。

シベリアの気候は冬には-40℃にもなるそうです。この映画ではパンフレットによると、1日の食糧は黒パンと薄いお粥のみ……労働にはノルマがあって、ノルマに満たないと食事を減らされたんだとか……。食糧事情はマリアさん一家の時代とは違うかもしれませんが、満足に食べられる環境ではなかったのではないかと思います。特に、収容されたばかりのときは日露戦争のときですからね。そんななかで、これから歩き始める赤子を育てる……すごすぎないですか?? 労働の間はおんぶしたりしていたのでしょうか、それとも医務室とかで預かってくれたりしたのかな……。イメージ的にはおんぶ紐かだっこ紐かな……。
子供の言葉が発達するためには、よく話しかけることが重要だと言われます。また、子供の体の発達には、よく遊ばせることが重要だと言われます。マリアさんは両親を亡くした9歳のとき、すぐに動いて革命軍(につながる人たち?)に自分の能力をアピールしていますので、身体能力も言語能力も遅れていないし、なんなら頭が冴えています。
マリアさんのもともとの霊力が人より高かったり能力が高かったりしたから、というのもあるでしょうが、これはご両親がマリアさんにかけてきた愛情と苦労の結果でもあるのではないかと思います。監視の目を盗んで、きっときっと、いろいろな働きかけをマリアさんにしていたに違いない。2歳ごろのイヤイヤ期などは、どうやって乗り切ったのでしょうか。環境が特殊なだけに、普通の発達段階は踏まなかったのかもしれない……。それにしてもかなりベイビーからの話なので、いつも聞き分けよく大人しいわけじゃなかっただろうし、相当に過酷で大変という言葉も思いつかないぐらい大変だっただろう……。

映画にはニノ演じる山本さんが読み書きができない仲間に、監視の目を盗んで文字を教えてあげる場面が出てきます。これがまた、私のマリアさん妄想と重なりまして……。
私の妄想したところでは、マリアさんに基本的な文字の読み書きを教えたのは、父・ブリューソフさんではないかと思っているんですよね。もしかしたら男女で宿舎がわけられたのかな……とも思ったのですが、たぶん女囚の方が少ないと思うから、わざわざ分けないんじゃないかな、というイメージで、一家が3人とも同じ宿舎にいる想定です。そうだとしたら、一番最初に教えた言葉はロシア語でしょうか。私の妄想では、須磨さんとブリューソフさんは両者とも英語が喋れたのではないかと思うので、ロシア語の他にもしかしたら英語も少し触ったかもしれません……でも、英語はユーリー隊長から教わった可能性もあるかもしれない……妄想です。マリアさんが言語をどこで習得したとか、そんなどうでもいい細かいことは原作には出てきませんので……。私の妄想したところでは、基本的な読み書きはブリューソフさんが教え、読書習慣などはユーリー隊長から来たものではないかと思っています。

映画の中で山本さんは「帰国(ダモイ)」の日を信じて仲間に希望を伝え続けるのですが、ブリューソフさんも収容所を出て平和に一家3人で暮らせることを信じていたのかもしれません。前夜には「粛々と過ごした」と書いてありますね。「誤解だから早く出してくれ!」みたいな談判はしなかったということかな? どれくらいの期間の刑を言い渡されたのでしょうか。映画の中の山本さんは25年とのことでしたが……。粛々と過ごしていると恩赦で期間が短くなるとか、そういうこともあったのかな??
親子3人が同じ宿舎に入れられていたとしたら、おそらくはマリアさんのことではいろいろと目をつけられたり問題も起こったと思うので、完全に粛々というわけにはいかなかったのではないかと思ったりもします。亡くなるまで、9年間ぐらいの収容所生活をしているので、その間には「いつ出られるの?」と思ったりもしたかもしれません。

ご両親は肺炎にかかって亡くなるわけですが、最期のシーンは宿舎ではなく医務室だったかもしれませんね。映画の収容所には医務室がありましたが、もしかしたら医務室がない施設もあったかもしれないですね。どちらだとしても、きっとマリアさんはご両親が亡くなったとき、泣けなかったでしょうね。映画の中にも描かれていましたが、飢えと寒さで人が死んでいく環境です。時代も違いますし、もちろんこの映画の通りの環境ではなかったかもしれませんが、完全に死と無縁で過ごせた幼少時代ではなかったのではないかと思います……。
そして、マリアさんが見た光景というのは、須磨さんも同じように見ているはずですね。異国に来て若くして(女学生だったとのことなので、見初められた時点で年齢は16~18歳ぐらいなのかなと推測)母となり、日本で暮らしていれば見なくて済んだ光景をたくさん見たと思われる須磨さん。その上で、「赤いカチューシャ」の歌にあるように「この血を与える」覚悟でマリアさんを育て、絶望の淵で「愛が見つかる」と希望を伝えようとした須磨さんは、やはりかなりすごいと思うのです……。母は強し……というとありきたりですが、男に付いて駆け落ちしたものの宗派の改宗は拒んだりしているので、もともと気の確かな人だった感じがします。(※3)マリアさんの存在は、須磨さんにとって希望でもあったのではないかと思います。

マリアさんの方にしてみれば、希望を口にしながらも具体的には施策も行動もないように見えるご両親に苛立ちを覚えたりすることもあったかもしれませんね……。特に自我と記憶がはっきりしてくるであろう5歳ぐらい以降、マリアさんはあまり笑わなくなったのではないかと思います。

映画では夏に水遊びの許可が出たりしている場面があったのですが、マリアさんがいたところはどうだったのでしょうか。気候的に夏に気温が上がるんだったら、監視下でそういう許可が下りることもあったのかな? 前夜には「シベリア奥地のシュシェンスコエ村」って書いてあるんですけど、どんなところなんですかね……。(※4)もしもそういう許可が下りることがあったのであれば、一家がいっとき、ほっとできる時間になったことでしょう……。

 

……というのが、この映画を観て自由に駆け巡らせたマリアさん妄想なのですが、何しろすごく妄想なので、すごく間違っているかもしれません……。いずれにせよ、マリアさんの幼少期にフォーカスした「赤いカチューシャ」にある通り、マリアさんが「大神さんに出会うまでは愛を知らない冷徹人間」だったということはなかったと思うのです。

今後も機会あらば、より生々しく臨場感を持ってマリアさんに迫りたいと思っておりますので、何か有力な資料等をご存じであればご一報ください。

実はもっといろんなことを妄想したんだけど、これ以上書くと流れがごちゃごちゃするし、あまりにも長くなるので、今回はこの辺にしておこうと思います。

マリアさん妄想のアウトプットにおつきあいいただきまして、ありがとうございました。

映画は本当に素晴らしかったので、ぜひ皆様もシアターに足を運んでみてくださいね。
マリアさんのこと以外でも、なんとなく、どこか広井王子氏のサクラ大戦みを感じる映画でした。

↓素晴らしかったわね!

 

※1 ノンフィクションのよく作られた映画って、ものすごくパワーがあったりしますよね。確かミニシアター系だったと思いますが、昔観た「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画がすごくパワフルでした。ひとりでアラスカに行って生活をする青年の人生を描いたものなのですが、すごくパワーがあって、しばらく衝撃から抜けられませんでした。それもノンフィクションが元だと知らずに観に行ったので、なおさらでした……。あるひとつの事実があって、それを知って感銘を受けた人の「これを映画にしたい!」というひとつの熱い真実が描き出されるのかもしれないですね……。

※2 前夜によると1903年6月に誕生して、1904年2月頃にはスパイ容疑がかけられているようなので、マリアさんはまだまだめちゃくちゃベイビーですね。立ち歩きを始めようとしているぐらいで、食事は離乳食をそろそろ始めようかというぐらいでしょうか。リアルに考えたらこういう場合は赤子は労働力にならないですし、孤児院とかに預けられるのかな……とか思ったりしますが、須磨さんや父・ブリューソフさんが何か談判したのかもしれません……。

※3 前夜には、須磨さんがカトリックからロシア正教への改宗を拒んだこともあって正式な結婚をせずに、マリアさんが須磨さん側のタチバナ(橘)姓を名乗ることになった、というようなことが書いてあります。須磨さんは明治時代をモデルにした明冶時代に育った女性のはずですが、かなり進んだ精神の持ち主ですね。現実の世界でもウーマン・リブ運動などが盛んになったのは、確か大正時代からですよね。すみれさんのところの両親も、けっこう進んだ感じだったような記憶……。サクラ大戦世界の女性は活き活きしていますね。

※4 即席で検索したんですけど「シュシェンスコエ村」はレーニンが流刑されたところだそうです。……ということはレーニン周りを探っていけば、もっと生々しく臨場感を持ってマリアさんの幼少期に迫れるのでしょうか。この映画は「シュシェンシュコエ村」の話ではないですし、時代もかなり後の話なので、レーニンの話を聞いた方がマリアさんのいた環境に近いのかもしれないですね。調べていけば、今回とはまた違ったイメージも出てくるのかもしれません。