ドールマリアと暮らしています。

ドールマリアとの暮らしを綴る日記風ブログです。

太正時代に想いを馳せて……

10月も1週間が過ぎました。
9月が終わってから急に寒くなりましたね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。

私は昨日、こちらの講座を聴きに行って参りました。

 

ドールマリアさんはいつぞやの大正ロマン柄の浴衣を着ました(^^)

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浅草オペラを研究していらっしゃる先生が講師として登壇され、浅草オペラの成り立ちと盛衰を講義されたあと、いくつかのレコードを聴かせていただきました。

皆様、浅草オペラって何だか分かりますでしょうか。

実は、私はよく知らないまま参加いたしました……。

大正時代の舞台→太正時代の舞台⇒マリアさん!(*^▽^*)……ということで……。

レコード音源も聴かせていただけるということだったので、それも楽しみに……。

浅草オペラ誕生の背景には、明治時代の帝国劇場での日本のオペラ俳優養成の動きがあったそうです。しかし、このオペラを日本の高級娯楽にしようとした試みは失敗し……その後いろいろあって(端折った)浅草オペラが誕生したそうです。高級娯楽からより安価で庶民・大衆受けするものになり、かつ第一次世界大戦の影響でアメリカの流行歌なども入ってきやすかったことで、西洋風の音楽劇が成立したのだとか……。
庶民・大衆受けするものになったとはいえ、音大で学んだ人なども浅草に出演していたりして、後に舞台や劇団や歌で活躍するスターをたくさん輩出したとのことです。

この浅草オペラが集客的な意味で盛り上がっていたのは大正7~8年頃とのことです。マリアさんが日本に来たのは太正9年頃で、帝国歌劇団の初公演は太正11年なので、もし浅草オペラの文化が太正の世界にあったとしても盛り上がりの時期からは少しズレていますね。でも、集客のピークを過ぎたからといって急に途絶えたわけでもなく続いていたので、もしかしたらマリアさんも観たか……もしくは興味を持ったかもしれないですよね。

大正時代には多くの劇団や歌劇団が誕生したそうで……太正の世界ではそういう話はあまり描かれていないですが、ドラマCDでなんちゃって帝国歌劇団とかも出てきたので、描かれていないだけで帝都でもあれやこれやの舞台や公演が行われていた可能性はありますよね。たとえば、ゲームの4で副題だった「ゴンドラの唄」(命短し恋せよ乙女)などは、大元は大正時代に行われた舞台(芸術座)の劇中歌だったそうです。副題としてだけでなくて、ゲーム内(ゲームの冒頭)でも大神さんの朗読という形で使用していたので、少なくとも太正時代にはその詞の部分は存在しているし、おそらく歌も存在しているのではないかと思われます。歌が存在しているということは、「ゴンドラの唄」を含んでいた「その前夜」の公演が太正時代にも行われたのでは…………と、どんどん妄想が広がります(^^)

そんな浅草オペラも大正12年の関東大震災で途絶えてしまい、浅草が復興しても以前のような盛り上がりにはならなかったそうです。その後は「オペラ」を目指したものではなくて、軽演劇やレビューショーが流行るようになったとのこと…………


………………ちょっと…………帝国歌劇団の設定って、本当に最高ですね~!!(///▽///)

 

高級な……というよりは、もっと一般的で庶民受けする下町の感じのイメージなのは原作者・広井王子氏の原風景によるところが大きいのかもしれませんが、この時代設定というかタイミングというか……あと場所も浅草ではなくて銀座であるところとか……なんだか本当に最高です。

レコードで当時に上演された「カルメン」の一部を聴かせていただきました。今、オペラとして観られる「カルメン」とはまた違って、日本の下町向けにされた和製「カルメン」な感じでした。
なんとなく、「愛はダイヤ」を思い出しました……「愛はダイヤ」は「カルメン」とは関係なくて「金色夜叉」だけども……^_^;

 

講演会場の近くにある竹久夢二美術館へも行きました。
(カフェにも行きたかったので、実際は講演前に行きました)

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弥生美術館と夢二美術館は建物の中でつながっているので、1枚の入場券を購入すれば両方見て回れます。
弥生美術館の方では、明治~昭和に流行った着物のコーディネートの展示をやっていました。夢二美術館の方ではレコードや楽譜の表紙のデザインの展示がやっていました。
着物の柄にアール・デコアール・ヌーヴォー構成主義など、西洋美術の影響が反映されているのが面白かったです。あと、流行りの果物の柄とか……もし自分が当時を生きていたとしても、果物柄を着こなせるとは思えない……(^_^;
ドールマリアさんに和装を作ってあげるときも、柄に柄はコワくて無地の帯を選んでしまうことが多いのですが、展示を観てみたら帯も柄もののコーディネートばかりでした。昔の女性はレベル高いのか……。
サクラ大戦の世界でも文物の広まりはリアルとだいたい似た感じではないかと思うので、明治時代の展示を観ながら、明冶を生きた須磨さんはこういう着物を着たりしていたのかな……と妄想……(///V///)
こういう着物が流行ったのは都会だけかもしれませんが、須磨さんはそんなに田舎の人ではないイメージです(私の中では)。そんなに田舎だったらロシアの外交官と出会って大恋愛とかできないんじゃないかな、と……いう……妄想。前にも少し妄想を書き散らしましたが、須磨さんは英語ができたんじゃないかと思いますし……。

夢二美術館の方ではレコードが流れていて楽しかったです。
夢二が詞を書いた「宵待草」……あれはてっきり女性の心情を歌う内容なのかと思っていたら、男性(夢二)の心情を書いたものだったんですね!銚子で出会った女性を好きになって手紙でやりとりしたりしたんだけど女性が別の人と結婚してしまった……という失恋エピソードが展示されていました。恋多き男ですね。

こういうレコードたちも、もしかしたら帝劇の遊戯室あたりにあったりしたのかな……と思うと妄想が止まりませんでした。ヨコシマです……。ゲーム2のヒロイン選択イベントでは、すみれさんが遊戯室でレコードを聴いている場面がありますよね。ひょっとしたら、「ゴンドラの唄」も遊戯室にあったりするのかも……なんて……(///V///)

最後は美術館併設のカフェへ立ち寄りました。

カプチーノと、レコード展コラボのマロンケーキです(*^_^*)
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普段はコーヒー系はあまり飲まないのですが、ラテアート目当てで……(^^)

もう夕方の時間帯だったので、夜眠れなくなったらどうしよう……と少し心配したのですが、特に大丈夫でした……。

チラッ…………美味しそうね……

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陰からマリア……笑

大正から太正へ……いろいろと想いを馳せた1日でした。
私は妄想ばかりしてしまいましたが……本郷や根津、あの辺りは日本文学の文豪たちに縁のある土地です。
講演は昨日だけのようですが、美術館での着物の展示とレコードの展示は12月24日までやっているようです。クリスマスですね!

皆様も機会があれば、ぜひ……。

弥生美術館・竹久夢二美術館 (yayoi-yumeji-museum.jp)

 

楽しかった……。

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最後に……お昼をいただいたお店を紹介しておきます。

根津カレー ラッキー - 根津/カレー | 食べログ (tabelog.com)

こちらのお店でカレーをいただきました。
親切に対応いただき、ありがとうございました。
根津駅のすぐ近くのお店でした。